閉鎖病棟に入院する前に書いていた最後の日記

2018年11月26日の日記。

閉鎖病棟に入院する前に書いていた最後の日記がこれだった。

まだ保証人で揉めていたような、もう片が付いて正式に入院が決まったあとだったか記憶が定かでないが、そんな最中の時期だったと思う。

私の中では三途の川を渡り終えて、穏やかな気持ちだったように記憶している。

あまり難しいことはできないし、他者に影響を与えるようなことはなるべく避けた方が良い。それでも孤独を感じるほどには調子が良く、何も成し得ないただ息をする死体でいると状況が暗転していくことがわかるほどには思考力も回復している。そういうときに本は優しい

 日がな一日本を読んで過ごしている。
調子が良いときは活字、そうでないときは漫画を読んでいる。
 元々本をよく読む方だったのだが、体調を崩し本を読まない期間が大きく介在してから、そのうち読まないことに慣れてしまった。敷居が上がったのだ。
 物心ついたころから本をよく読む子どもだったけれど、別段本が好きだったわけではないことはハッキリと言える。車を愛している人とアシに使う人がいるように、私にとって本は後者であり続けていると思う。

 私にとって精神的な病は小児の頃からグラデーション伝いになっていて、いつから発症した、というのが今更わからないのだけれど、とはいえ2016年以降からぱったりと本を読むことが苦手になってしまった実感がある。
 特に、新たな専門分野を開拓していた2017年は常に本を読む必要に駆られていたにも関わらず、思うようにいかない悔しさがあった。本の読み方を忘れてしまっている感覚がとうとう終いまで抜けなかった。
 そんな反動からか日がな一日本を読んで過ごしている。

 本ばかり読んでいる理由はもうひとつあって、負荷の程度を測りかねているというのがある。
 2018年9月後半~11月頭頃までの2ヶ月は希死念慮に文字通り人生を覆われていて、真っ黒な世界で生きているのか死んでいるのかわからない日々をただやり過ごしていた。記憶も朧げなので、私の中では晩夏が始まるまでに晩秋が訪れていた。
 先月までに比べれば、希死念慮も薄まりできることも格段に増えているが、少しでも負荷を見誤ると、途端に何もかも崩れてしまう。何をしていても真っ黒な暗闇がすぐ後ろにいる感覚があり、少しでも気を抜くとたちまち引きずり込まれてしまいそうな恐怖感がある。
日々死にたがっているくせに、本当に死に届きそうだった時期の状態異常がトラウマになっており、あんな思いはもうしたくないと何事にも足がすくんでしまっている。
 だから、あまり難しいことはできないし、他者に影響を与えるようなことはなるべく避けた方が良い。それでも孤独を感じるほどには調子が良く、何も成し得ないただ息をする死体でいると状況が暗転していくことがわかるほどには思考力も回復している。そういうときに本は優しい。

 本を読むにもコツがあり、読んでいる間は一切の当事者性を排除することが肝要である。
 これはこの世とは全く関係ない物語であり、この世と関係ないのだから私自身とも全く関係のない世界の話だと思い込み切る。
 自分に置き換えないことを常に意識して読み進めることで、自己と他者の曖昧さを無くす訓練にもなる。自分を完全に切り離して本を読むことで、自責のループを断ち切ることができているように思う。
 それでいて、どこか別世界の物語を読むことで、少なからず影響は受ける。そして、選ぶ本、特に最後まで読み切ることができる本にはやはり一定の傾向が現れており、それは無意識下で私が望んでいる在り方なのではないかと最近感じるようになった。

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