2018年10月2日の日記。
先日書きかけの論文と乗り切った学会発表の履歴を自宅内で発見して、「努力の遺産が落ちている」と思いました。
忘れていたんですよ。
人間が書いた文章を遡ることが好きで、遡っていたら、日記を書こうとしてやめた形跡を発見した。
こんなものがあったのだなぁ。
こんな日記のことを忘れている間に2018年の秋になっていました。
全てが破綻して、あのとき一度死んだのは2014年の夏だったと思います。
4年半の年月が経ったのですよね。
4年前と今とで、専門分野と、収入と、恋人と、好きな場所と音楽が変化しました。
4年の間に、現専門分野と日本以外の場所に住むことと様々な新しい言語、中途退学と自殺失敗と正社員とカミングアウトを新しく経験しました。
変化しなかったのは、これまで好きだった人達、生きていること、つらいと思いながら生きること、たまに死にたくなることと、今も地に足が付いていない生活をしていることかな。
一昨年は、大学院を修了するため復学をし、復学ができず自殺にも失敗したのち退学をしました。
勉強は楽しくて研究も順調だったような記憶がありますが実際のところはどうだったのでしょうか。
一昨々年の1年間かけて自信や強さを少しだけ養って、主治医の許可も得られて、復学したということが同時に「後の無さ」も養っていたのだと感じます。
先日書きかけの論文と乗り切った学会発表の履歴を自宅内で発見して、「努力の遺産が落ちている」と思いました。
昨年は、会社に就職をしました。
B1から従事してきた分野を変えて、全く違う専門分野に関する就職をしました。エンジニアということは変わらないのですが。
就職を通して研究に対する鬱蒼とした靄のようなものをいつの間にか忘れられていたのが全体として良かったのかなと思っています。
孤独を選択している人間が多く存在する職場で、そういうのも良かったのだと思います。
勤めている間は本当に時間が経つのが早く数ヶ月が何年間もの時間に感じていて、退職した途端に時間の流れがゆっくりになったので、勤めていない人間が歳をとらない訳だなぁといつも思っていたのを覚えています。
今年は、退職をしました。
展開が速い。
これまで抗い続けていたできないことをもう諦めていく年なのかなと感じています。
元々地に足が付いていないという印象を持たれがちな人間だった自覚がありますが、地に足が付いていなさは年々向上しており、それは自信の喪失と比例しているのではないかということは考えないようにしています。
人間は変わらないのだと、いいかげん諦めさせられているような気がします。
恩師でもある指導教官から頂いた言葉たちは今も私の崖縁を護ってくれている感覚があり、恩師は何年経っても恩師のままであるということが最近の救いです。
卒業論文を書いている時にやっと芽生えた、学問は自分を助けてくれるのだという感覚をどうか忘れずにいたい。